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基本的に歩兵聯隊についての内容になります

歴史

「幼年」は当時少年層を指す言葉で、幼年学校は中学校レベルの教育を行う士官養成機関である
プロイセンのKadettenanstaltを参考に設立された。

設立以前

  • 慶応4年8月 京都に兵学校設立(明治2年に兵学寮と改称)
  • 明治2年9月 大阪兵学寮開校

北越戦争終結直後で新政府が士官養成についてかなり早い段階から構想していたことが窺える

兵学寮幼年学舎(明治3年~)

26歳以下の青年学舎の士官「速成」に対し、19歳以下の「幼年」に対しては「大成」の幹部教育を行う旨が書かれている
初期の入校生徒は横浜語学所(旧幕府太田村陣屋跡)の35名

  • 明治3年5月 大阪兵学寮 幼年学舎開校
  • 明治3年11月 (築地の海軍操練所が海軍兵学寮へ改称)
  • 明治3年11月 大阪兵学寮が陸軍兵学寮に改められる
  • 明治4年12月 東京へ移転

幼年生徒(明治5年~)

  • 明治5年6月 士官学校とその予科である幼年学校設立

士官学校の課程は仏語を使用する「正則生」と日本語を使用する「変則生」に二分されており、幼年学校生のみが「正則生」

  • 陸軍兵学寮概則
    • 幼年学校は少年の生徒に仏語を学はしめ専ら預科のみを教授する所とす
    • 正則生は仏学預科卒業の者に原書を以て兵学本科を教授す
    • 変則生は原書を用いず訳書を以て兵学本科を教授す
  • 明治6年6月 徴兵令制定

徴兵令制定に先駆けて士官養成のための幼年学校の設立がなされている

幼年生徒(明治10年~)

  • 明治10年 幼年学校が廃止され士官学校付属の幼年生徒となる
  • 明治13年 独語が追加

幼年学校(明治20年~)

地方・中央幼年学校(明治30年~)

  • 明治29年 陸軍中央幼年学校条例、陸軍地方幼年学校条例 制定

日清戦争の経験後、士官養成のための軍人教育は3年では足りないと考えられた
幼年学校3年→地方陸幼3年+中央陸幼2年へ
地方陸幼の最初の召募は明治30年、中央幼年学校(旧幼年学校)の最終召募は明治31年

幼年学校(明治36年~)

諸制度

学費関連

  • 納入金制度
  • 官費生・半官費生

行事

各年度召募人数

(召募人数の変移や合格者年齢等掲載予定)