基本的に歩兵聯隊についての内容になります

兵営の一日

起床

  • 起床喇叭にて起床、軍衣袴に着替える
  • 点呼喇叭にて日朝点呼を受け、病気の者があれば休養班長(日露戦争後は内務班長)に申し出て軍医の診断を受ける
  • 点呼後は窓を開き、毛布敷布を振って丁寧に畳んで寝台の上へ置き、顔を洗った後に武器・被服の手入れをし、それぞれ整頓をする
  • 起床後日夕点呼までは寝台に就いたり腰を掛けたりしてはいけない。ただし衛兵の夜間勤務を終えた者など許可を受けた者はこの限りではない

朝食

  • 食事分配喇叭にて当番卒が炊事場へ糧食を受け取りに行く
  • 食事喇叭にて食べ始める
  • 食事中は行儀良く特に静かにしなければならない
  • 当番卒は朝食後すぐに室内の掃除を行う

学科・演習

昼食

  • 食事分配喇叭にて当番卒が炊事場へ糧食を受け取りに行く
  • 食事喇叭にて食べ始める
  • 昼食後は毛布・敷布を広げ寝台の準備をする

午後演習

入浴

  • 中隊ごとに入浴を行う。詳細は↓の入浴の項にて

夕食

  • 食事分配喇叭にて当番卒が炊事場へ糧食を受け取りに行く
  • 食事喇叭にて食べ始める
  • 夕食後は学科のあるときもあるが通常は休憩できる

就寝

  • 点呼喇叭にて日夕点呼を受ける(消灯30分前)
  • 消灯喇叭後は喋ってはいけない
  • 消灯後も廊下の灯りは消さない

その他

  • 営内で過ごす時は通常小倉衣袴を着用。聯隊長が許可する時は室内にて上衣を脱いだり胸元を開けたり靴を脱いでも良い。脚絆は着用しない。着用するのは勤務及び演習時
  • 室内に入る時は靴の泥を落とし、脱帽する

休暇・外出

休暇

各休暇にて旅行する時は休暇免許証を携帯し、略装(第二種帽、衣袴、脚絆、銃剣)に外套を携帯する

  • 賜与休暇
    • 褒賞休暇:行状方正、勤務勉励、学術技芸に熟達し他人の模範となる者に与えられる [1ヶ月に1日]
    • 慰労休暇:臨時の特別勤務や数日にわたる演習を行った時、または検閲の終わりに慰労の為に与えられる [1~2日程度] (ただし戦後の凱旋帰国後などは2週間程度の手記あり)
  • 請願休暇
    • 請願休暇:父母の病気や死亡で帰郷を要する時に願い出る。親族側で願書を作り、病気であれば医師の診断書を添えて本籍の市町村長の奥書証印を受けて聯隊長へ差し出す [往復日数を除き2週間以内]
  • その他
    • 定例休暇:夏期に下士は二週間以内、准士官以上は三週間以内の休暇が与えられる。通常7~9月頃繁閑を考慮して一度に/または分割して取得。第七師管区や樺太に於いては1~3月頃

軍隊内務書第二版 外出の定則より

  1. 日曜日その他休業日は勤務に当たる者を除いて朝食後より兵卒は夕食前まで、下士は日夕点呼まで、特務曹長は午後12時まで外出が許される
  2. 下士は週番勤務の者を除いて、勤務・演習などに支障がなければ毎日午後演習が終わってから日夕点呼まで外出できる。兵卒は日曜と休業日以外は基本外出が許されないが、水曜日午後は演習が終わってから用事を済ますためであれば夕食前まで外出ができる
  3. 下士以下臨時外出を願い出てやむを得ない確証のあるときは48時間以内の外出を許される場合がある
  4. 下士兵卒が外出する時には第二種帽(陸軍服装規則に当てはまる場合は第一種帽)を被り、帯剣(帯刀)し、手帳を所持すること。外套を持って行く場合は巻いて左肩上より右脇下へ掛ける。雨天や道がぬかるんでいるときは脚絆を袴上に着用する
  5. 下士兵卒で公用のため/または臨時外出をする者は焼き印を用いた木札を携帯する

また2日以上休日が連続する場合、行状方正、勤務優秀の者に限り所属長官の許可があれば外泊ができる

祝祭日一覧

明治12年~明治天皇崩御まで
年末年始はおよそ大晦日~その3日前より三が日まで休業日

1月1日 四方拝 祝日/神事
1月3日 元始祭 大祭日/年始に宮中で行われる皇霊祭
1月8日 陸軍始 陸軍の仕事始め
1月30日 孝明天皇祭 大祭日/先代の孝明天皇崩御相当日に行われる祭典
2月11日 紀元節 祝日/神武天皇の即位日(今の建国記念日)
3月10日 陸軍記念日 明治三八年戦役(日露戦争)による記念日
明治39年制定
3月21日 春季皇霊祭 大祭日/歴代の皇霊を祭る日(今の春分の日)
4月3日 神武天皇祭 大祭日/初代天皇の崩御日に行われる祭典
5月6日 靖国神社大祭日 靖国神社の例大祭
9月23日 秋季皇霊祭 大祭日/歴代の皇霊を祭る日(今の秋分の日)
10月17日 神嘗祭 大祭日/伊勢神宮へ新穀を捧げる祭典
11月3日 天長節 祝日/明治天皇誕生日(今の文化の日)
11月6日 靖国神社大祭日 靖国神社の例大祭
11月23日 新嘗祭 大祭日/収穫を祝う祭典(今の勤労感謝の日)
聯隊による 軍旗祭 正月並に盛大に祝う

軍旗祭の日付に関しては各聯隊軍旗御授与年月日として一覧に載っている日付と実際に聯隊で受領した日(この日が軍旗祭)に差があったりするので注意。各聯隊史にて確認する方が良い
例えば第十五聯隊:7/21授与→7/27受領、第十六聯隊:8/15授与→8/24受領など
第七師団は25-26聯隊:12/22受領、27-28聯隊:12/26受領

酒保

細かい規則は聯隊毎に違うようです。基本的に現金は使用せず、まず現金を通貨代わりの木札に交換してからそれを使用して購入。

軍隊内務書第二版 酒保の定則

  1. 聯隊に酒保を置き良質にして廉価なる日用品及び飲食物等を特務曹長下士兵卒に購求せしむるを以て目的とす
  2. 酒保にて販売すべき物品は聯隊長その品種を定むべし。しかしてその飲食物は医官の検査を受けるものとす
  3. 酒保の物品はその隊に於いて自ら調達するかまたは請負人をして為さしむるかは聯隊長これを定むべし。ただし請負人は営業鑑札を所持するものに限る
  4. 聯隊長は酒保委員を設け以て酒保一般の事務を整理せしむるべし
  5. 請負人をしてこの販売をなさしむるときは酒保委員その承認と条約を為し詳細にその規定を掲げ特に価格約定を厳重に履行せしむべし
  6. 酒保の細則は聯隊長これを定むるものとす

酒保で販売しているもの

  • 筆、紙、墨、文具、靴墨、靴刷毛、銃掛扨、歯磨、歯磨粉、楊枝、石鹸、手拭、ハンカチーフ、手袋、靴下、カラー、カフス、郵便切手、葉書、煙草...etc
  • 麵包(パン)、堅パン、あんパン、餅、大福、おこし、汁粉、蕎麦、湯豆腐、煮物、刺身、煮魚、酒、燗、南京豆、エンドウ豆、ラムネ、氷...etc

週番勤務

当番と従卒 (編集途中)

当番

  • 当番卒は命令、書簡使いその他の雑役に使用する。
  • 当番卒は営内の使役の場合を除いて第二種帽を被り、剣または刀を佩び脚絆を着用する。外套を携帯する時は巻いて左肩より右脇下に掛ける。厩当番は作業服を着用する
  • 主なものは衛兵、各集会所当番、食事当番、炊事当番、風呂当番、厩当番など
  • 新兵教育の終わっていない新兵は当番にはならず古兵より選出する。

従卒

  • 師団長及び隊附将校は必要ある時は従卒としてその隊中より兵卒を1名使役できる。その兵卒は品行不正、勤務勉励、技芸熟達の者にして第三年兵より選抜する。ただし同じ兵卒を6ヶ月以上使用してはいけない

炊事

  • 当時は竈(石造りまたは煉瓦製)、水は井戸で汲み、冷蔵庫も存在しない
  • 明治6年頃から中期頃までは函館から天然氷を船で運び販売されていたが、明治半ばに機械による製氷が行えるようになって明治20年頃から庶民の間でも氷が買えるように
  • 歩兵第一聯隊では炊事に蒸気(ボイラー)を利用したのは明治40年10月からとある
  • 業者を雇って炊事を行わせる請負賄いを行う場合もある
  • 給与として1人辺り1日精米6合が支給される。明治27年の定員令では1大隊に下士卒527人×1食2合=1054合、1000合で1石なのでその量の多さたるや
  • ↑さらにここに原隊附の士官候補生や一年志願兵の糧食も加わる筈?彼等は一般の兵卒とは別に過ごし当番や炊事をしないので
  • (漫画めしあげ!!のコラムでも解説されてる通り兵営では委任経理で2~3割は麦が混ぜられていたことが多いようで、しかし戦時になると委任経理ではなくなって白米支給に切り替り、すると…という)

糧食委員

  • 大隊糧食委員はその大隊の炊事掛を指揮して糧食経理一切のことを管理しかつ蒭秣(すうまつ/馬の餌)事務を兼掌する
  • 大尉:諸契約、伝票帳簿の監視調弁、物品の出納、戦用品の貯蔵、戦用炊具、動員計画、糧食積立金の使用などを司る
  • 中尉または少尉1名:献立表の調整、庖厨・浴場・倉庫の監視、炊事掛当番の監視、食品の検査、食事分配の方法及び分量の検査を司る
  • 軍吏[主計/明治36年~]:糧食に係る計算と記簿、炊事軍曹の記簿の監視

炊事掛下士(軍曹[一等軍曹]/伍長[二等軍曹])

  • (明治32年までは伍長は二等軍曹のためここで炊事軍曹と言った時は一等二等軍曹を含みます)
  • 1大隊に2人、仕事内容は糧食計算に係る諸般の事務、食物の良否の判断、調理、塩梅、分配、衛生の管理、かつ炊事場・倉庫・浴室などに関わる備品・備付器具などの保管を行う
  • 献立は炊事軍曹が作り、毎週土曜に糧食委員の許可を得てこれを大隊附医官に出し、衛生上の意見を聞いて承認を受け実行する
  • 毎朝週番下士より食需伝票(責任者の認印が必要)を受領し炊爨準備を行う。また食需伝票は毎週日報との照合を行う
  • 食料に異常があれば糧食委員の中(少)尉に報告する。また炊事場/浴室/炊事当番卒の衛生にも注意し清潔を保つ。火災にも注意をする
  • 出入り商人や外部からの雑役者を取締り、軍紀・風紀を維持する
  • 帳簿記帳(糧食品受払表、給餉日計簿、諸伝表、糧食諸品決算表、その他必要の諸表簿)
  • 最も外部(市井の業者)とのやり取りが多く、兵隊は純朴で世間慣れしていない者も多いため悪徳業者に騙されたり、または結託して私腹を肥やすこともしやすいポジションだったとのこと

炊事当番

兵卒から当番卒として出される。だいたい決まった面子が多く選ばれる様子。練兵に参加しないため場合によっては3年間の殆どを炊事で過ごす兵卒も
明文で定まった役割は無いが当時の様子はだいたい以下のよう(所属の隊や時期によっても異なるかと思われます)

  • 定当番 (いない場合も)
    • 調理経験者などを大隊から3,4名程度選び、1週間や10日ごとに交代で勤務を行う
    • 炊事場に於いてのみ非公式な権力をもつ兵卒
    • 他の炊事当番の作業の割り振りなどは炊事軍曹とこの定当番で行った
  • 飯方
    • 名の通り飯を炊く。当時は炊飯器も無く、釜で500人強分の米を炊かなければならない
    • 井戸の近くで1斗ぐらいずつ米を磨ぐ所から、釜に湯を沸かして磨いだ米を入れ、へらでかき回し、水加減を見て蓋をして炊飯、炊き上がれば飯櫃に移し、これを何度も複数の釜で繰り返す。その後飯盒(メンコ)に分けて積み置く
    • 食事分配の喇叭が吹けば週番上等兵が面桶を食事当番に運ばせる
    • 明治終盤には手回し式の米とぎ機も使用されたそう
  • 菜方
    • 調理を行う。飯方と違い毎度調理法が違うので難しい
    • 炊事軍曹が肉などを外部から仕入れ、定当番が受領する
    • 牛肉などは味見と称してつまみ食いの餌食
    • 料理は皿に分け、お茶は湯桶に分配し食事当番が受け取りやすいようにしておく
  • 風呂当番
    • 炊事当番から1名ほど浴室当番に当たる
    • 入浴は下士が昼頃からのためだいたい10時頃に風呂を焚く
  • 飯方・菜方・風呂当番は他の当番と同様毎日交代 (とは言え同じ兵卒が送られやすかった模様/固定になってしまうと練兵・演習などに参加できないためまず上等兵にはなれない)
  • 飯方は朝3時頃より起きて1大隊500人強の米を炊く、菜方は5時頃より支度を始め起床喇叭後の食事分配に間に合うよう整えておく
  • 食事が済むと各中隊より食器を受け取り洗浄、飯方は昼食用の米を研ぎ始める
  • 日が暮れると飯方は中隊へ戻り就寝、残りは夕食の食器の後片付けをだいたい20時ぐらいまで

風呂

  • 基本的に(いれば特務曹長、)下士、兵卒の順 兵卒はある程度の集団毎にタイムテーブルがあったがだんだんと混ざって入るようになった様子
  • [時間の一例]下士は11時から15時まで、兵卒は15時より18時まで、風呂当番は18時半には清潔に掃除をし新たに水を汲む
  • 元日は朝風呂

衛生と医療